キャンピングカー北海道ひとり旅12

ZIL キャンピングカー
12日目 2020.9.22

夜になっても一向に車が混んでない道の駅「オホーツク紋別」でした。

これは朝の画像ですが、昨日の網走の押すな押すな状態から一変。紋別の車中泊車両は網走の10分の1以下と寂しい限りでした。網走と紋別じゃ町の規模と観光的位置も違うんですが、やっぱり4連休の最後の日は家でゆっくり英気を養いたい、というのが人情なのでしょうか。

まあ、でも泊っているおっつぁん達はつわのもぞろいですよ。大宮ナンバーのワンボックスのおっつぁんの車なんか、すべての家財道具が積まれているといっても過言ではなかったですね。中は良く見えないけど、持ってる道具がこまごまと数多く、年季が入ってるのね。もちろんオール自炊ですね。

今日は朝から洗濯の日です。

紋別市内のコインランドリーをマークしてありました。

一週間分を一度にドラムにぶち込んで、なんやかんやで1時間半はとられます。

その後は、オホーツク北上が続きます。

立ち寄るところは道の駅しかないです。

道の駅「興部(おこっぺ)」、トイレ休憩。

道の駅「雄武(おうむ)」昼食。だったん月見そば770円なり。

しかしよく見るな、ココソラーレ。ビミョーにそれぞれ絵柄が違うんだけど。地域貢献してるわ。

ところで、道の駅「興部」と「雄武」を巡ることにより、昨日の、「記憶があいまい」だったものがよみがえりました。

39年前、鉄道周遊券の旅の際、網走から北上して最後の駅がこの「雄武」だったんです。で、その当時は雄武から枝幸(えさし)方面への鉄道はそもそも存在してなかったんで、路線バスでつないだんですね。

39年前ですから昭和56年には雄武まで鉄道で来れたんですが、その後昭和60年7月14日に、惜しまれつつ、興部ー雄武間は廃線となったようです。

そして北海道ではよくあるんですが、廃線となった鉄道の駅を近年、「道の駅」として保存、または復活しています。

だから道の駅「雄武」は昔の鉄道の雄武駅の跡に作られています。39年前に降り立った駅の位置に再び立ったということです。

興部も、昨日の中湧別もそうですが、道の駅が町の中心部にあって、ロータリーのようなものがあったり、鉄道の遺構の展示が目立つのもそのためです。

展示されている資料を見ると、廃線への反対運動は相当なものだったことがうかがえます。昭和60年といえば、明治大正と違い、モータリゼーション全盛のころ、それでも「鉄路」は重要だったんですね。

さて走り再開。道の駅「マリーンアイランド岡島」に寄り、前々から気になっていた、オホーツク塩ラーメン(マツコの知らない世界で有名になった)をお土産に買いました。

青空にひつじ雲が鮮明になってきました。

浜頓別町から、「エサヌカ線」という農道に入ります。

ガイドブックによく載っています。道の両側に遮るものがなく、広大な牧草地が広がっている風景として。

実際、ここは参りました。これまで広大な地形ばかり眺めてきましたが、ここはスケールが違う。

絶対おすすめのロードです。

南側から入ると、こんな光景に出くわします。牛、多いなー、絵になる。同じ方向で同じ姿勢してるんですね。

さらに直線が17キロも続くメインルート。

両脇が広大な緑、どこまで続くのかわからない直線。

斜里の「天に続く道」など目じゃないです。

右側の牧草地はオホーツク海まで続いているようですが、海まで何キロなのか見当つきません。

あまりすごいので、もう一丁、写真を載せておきます。

エサヌカ線が終わるともうすぐに道の駅「さるふつ公園」に到着。

今宵のねぐらです。

温泉450円なり。

併設のホテル内レストランで、猿払といえば、ホタテ、なのだそうです。

ホタテ満載のさるふつ定食、1,500円なり。

ホタテしかない、っていう定食。味は・・すみません、普通です。クリーム煮がうまかったです。

夜、車内でPC作業していたら、突然、ルームランプが落ちました。(消えたってこと)

使っていた電力は蛍光灯ルームランプとPCのみ。PC電源はDC12VではなくインバーターAC100Vを使っています。(わかりやすく言うとサブバッテリーの12ボルト直流を、インバーターという機械で家庭用と同じ100ボルト交流に変換してます)、両者ともそれほど電気を食わないのに・・・、やば、サブバッテリーのパワーが枯渇しつつあるのかも・・・。そうだとするとこれ以上ダメージを与えるとバッテリーとしてまともに充電をしてくれなくなる恐れが・・・。

とりあえずサブバッテリーをシャットダウンして早めに寝ました。

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