11月19日から小笠原諸島・母島にステイしています
11日目 2023年11月28日(火)
ジーンズ、シャツ、パジャマなどをまとめて洗濯。
今日は今までで一番暑い気がする。汗をかいても乾かないし。
毎度悩ましい昼飯問題ですが、島で唯一、いつも昼飯をイートインできる場所、それが前回13時閉店で蹴られた「大漁寿司」さん。寿司といえば伊豆大島から南に続く島には必ず?島寿司なるものが存在する。有名なのは八丈島でしょうか。小笠原にもありますよ。
今日は11時半に入店するからね、閉めないでくださいね。なにせ宿から徒歩30秒。
こじんまりした店内にご夫婦?二人で営業されてました。
寿司屋ですがかなり守備範囲は広く、デカ盛りのカツ丼が人気なのだと。
私は当然、島寿司、1,200円。
漬けのネタ、何だろう、カンパチかな?シャリが大きめなので8貫でまずまず腹は満たされます。
ここにきて初めての「外食」。おいしゅうございました。
さて、暑いけど未踏のスポットに歩いて行く。
静沢(しずかさわ)の森遊歩道。
遊歩道入り口の反対側にも施設の一部があります。海軍施設跡?
これは難解な道。施設といったって井戸のようなものがそこここにあるのみで、すぐそこは断崖絶壁だと思われるが海も見えず、
シダ類の低木が密生していて蜘蛛の巣に引っかからないよう、低姿勢でぐるぐる・・・疲れます。
やっと一回りして遊歩道入り口。
遊歩道といっても基本的には戦跡保存地をつないだもの。
砲座、弾薬庫とか、
鉄は錆びても崩れないものだ。
機銃の残骸もリアルだ。
これより南の硫黄島の激戦はよく知られるところですが、首都攻撃の動線上にある小笠原諸島で日米軍が相まみえたとの話は聞きません。いたるところ砲台やら機関銃やらを備え付けて準備はしたものの、米軍がスルーしたのか、終戦を迎えたのか、これから学習します。少なくとも住民は疎開していたのは間違いありません。そのため北部の北村は終戦後に廃村の憂き目にあいました。
漁業と農業で平和に暮らしていけたはずの島民にとっては迷惑この上ない話だ。
一旦、舗装道路に出てから、また遊歩道再開。
艦砲射撃に対抗して海に向かって撃つものと思っていましたが、対空砲台だったんだ。
結構高台に来ている。南方の小富士も見える。海抜0mから登ってきたので、もはや汗だくです。洗ったばかりのジーンズもびっしょりになるくらい。
森を抜けると終点、西海岸が美しい。あの岩、船上からも目立っていました。
都道をとぼとぼと下り、港で休憩するぞ。
88cafe。
ギンギンにエアコンを効かせた室内で汗を乾かしたいところですが、そこはオープンエアの店、「あー、いい風」と店主。京都生まれでこちらに移住されたとか。
エアコンつけましょうとも言えず、3方の扉をあけ放ってもらいました。
珈琲好きの私も今日は無理。ジンジャエールを所望して、時に外のベンチで音楽なぞ聞きながら。汗も徐々に引いていく。
最高です。
ちょうど14時は、ははじま丸が父島に向けて出港する時刻。88cafeのベンチからその雄姿をとらえることができました。
15時過ぎに店を出て、性懲りもなく堤防釣りへ。
今日は南風でエギが追い風を受けてよく飛ぶこと。
そして性懲りもなく、ノーヒット。
山の天気があやしくなってきたので16時には納竿。あとからやってきた地元の漁師風の釣り師に聞くと、「ちょっと前にはいたんだけど、今はいないね、イカ」。エギのサイズ、私は3号ですが、今はまだアオリイカのサイズが小さいので2.5号でやってるそうです。もちろん2.5号も持ってきてますから・・・こりゃ明日も出陣か??
宿でジーンズ、本日2回目の洗濯。水と電気の大量消費、誠に申し訳ありません。
日没前から降り出した雨は洗濯ものを取り込むときにはすっかり晴れていました。
外は湿気を含まない、さわやかな空気が満ちているのでした。
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