キャンピングカー奥鬼怒・奥会津の旅 2.栃木市で3年4か月生活した痕跡を探る

キャンピングカー
秋になると北に行く
1日目 2023年10月11日(水)

いいねー10月初旬のこの爽やかさ。

本来、9月も名残惜しむ夏と秋の訪れを同時に楽しめるはずですが、10月1日も半袖だったからなー。ここ1週間ですよ、急激なる秋本番到来。

朝も静かな道の駅だなあ、と思っていたら、今日水曜日が定休日だと。

裏に遊具コーナーや、広場。

野球なら2面同時に試合ができる広さだ。美しく管理されています。

さて本日から一般道を北上。まずは1986年4月から1989年3月まで勤務した栃木市。1時間半ほどで到着します。

栃木市内、ヤオハンプラザ・アイムを含むショッピングゾーンの駐車場に停めさせてください。

当時住んでいたマンションは、

あれから34年、懐かしのマンションは取り壊されて、それでもビルの形は再現され、「さがみ典礼」さんになってました。まあ当時もあまり新しくないマンションではありました。

通りを挟んで向かい側にあった小さな駐車場は残っていました。

ここに停めたのは就職して初めて買った(買わされた?)車であるサニーのルプリという3ドアハッチバックの小型車。ターボがキュイーンと鳴る、そして時々突然死する車でした。その後買った(買わされた?)いすゞビッグホーンもここに停めたものです。

当時の勤務地(会社)への道のり。歩いて通っていました。なんかきれいになって歩道が広くなったかな。

女優・山口智子の実家のホテル「鯉保(こいやす)」はなくなったのね。今もあるのは栃木グランドホテル。

小路を入ったところにあるのが当時勤めていたビル。

たぶん自社ビルだったと思いますが、今は売却されて?知らない業者が入っています。取り壊してもいいくらい古い気もします。

10mほど歩くと巴波川(うずまがわ)。

上の写真中央の白い建物が当時そば屋さんでして、非常ーーによく食べさせてもらいました。今は閉店している模様。

この巴波川と周辺の建物が「蔵の町・栃木」として宣伝されて、まあまあうまくいった方でしょうね。当時は蔵も何も全く埋もれてましたからね。

水郷よろしく遊覧船も売り出したようですが今はないのか?

結局のところ、町おこしってのは江戸以前の姿を再現するのが手っ取り早いんだろうね。

さて、ランチで評判の店に行ってみます。

「ポアッソン」さん。

当時から栃木は個人のおいしい食事処がたくさんあった記憶があります。特にフレンチ。イタリアンなんかが出回る前の話です。ほとんど今は廃業されているところも多い。

確信はないがこの名前に何となく聞き覚えが・・・。

11時50分入店で最初の客でした。

清々と広い店内。

ランチメニューの一番安いやつ、コルトンブルーなるものを注文、1,250円なり。

このコスパが凄い。

サラダ、スープ、メインディッシュは鶏のチーズはさみカツレツ、デザート、コーヒーで1,250円とは。ちなみにカツではなくカツレツ、ですから。噛んだ瞬間、衣の旨さが違う。

町の洋食屋さんみたい、との評があるが、わかっていないねー。本格的なフレンチですよ。

で、当時行っていた店なのか?おかみさんに聞いたら創業は1989年2月と。うーーむ、微妙に、そして明確にすれ違っている。記憶の店とは違いました。

でも大変おいしゅうございました。

ヤオハンプラザに戻ってもう少し散策。

取引先のガソリンスタンドは廃業されてたり、

居酒屋・スナックで飲んだ後、12時回って食べたラーメン屋さんが残っていたり、

ちょっとした発見もありました。

しかし飲んだ後のラーメンって、昭和の若者だったんだなーー。先輩が必ずビールを頼んでからラーメンでしたねえ。餃子ならともかく、ラーメンの前のビールは好きじゃないんですが、年功序列社会の昭和の若者だったんだなー。

栃木市に別れを告げ、さらに北上して日光方面へ。

いつ来ても例幣使街道って杉木立で暗いね。

栃木探訪で意外に汗をかいたので15時に温泉へ。

日光温泉保養センター「かたくりの湯」。名前からして渋い。JAF割で600円。

内湯だけ入りましたがいい湯でした。

本日のねぐらは道の駅「湧水の郷しおや」

間違いなく安眠できそうな静かでフラットな駐車場だ。

昼に満腹となったので夜はあっさりコンビニ鮨。

なぜか突然右手薬指の第1関節の上が腫れてきた(内出血?)。思い当たる節がないが。

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