九州に8の字を描く旅
6日目 2022年3月27日(日)
いろいろ迷った挙句、本日は弥生時代のムラが発掘・再現されている吉野ケ里遺跡に行くことにしました。
私の中では有名な場所なんですが、ガイドブック「まっぷる九州」には載っていない。佐賀県といえば唐津に呼子しかないみたいじゃないか。
しかし個人的には断然興味があるのだ。
道の駅「筑前みなみの里」を10時過ぎに出発。一時間ちょっとで
「吉野ケ里歴史公園」着。
佐賀県の地に足を下ろすのは生まれて初めて。
なんか日差しがまぶしい。
すげー立派じゃないですか、入り口からして。
ある程度、おすすめするルートはあるみたいですよ。北から真ん中、ちょっと西に行って南へと。
すでに広い、圧倒的に広い。
まずは弥生時代の「王の宮殿」から。北内郭というようです。
この建物だけひときわ大きい。祭殿。
主に重要な決定をする場所らしい。
重要な決定事項とは、田植えの時期、田刈りの時期などなど。ムラの王とはいえ、なんかエラそうですね。
神のお告げを聞いたり。
神がかり、とはこういうことか。一種の催眠術師か。
祭殿脇には王の従者の住まい、竪穴住居があります。中は、
茅葺の内側がすっきりと意外にきれい。
さらに北に向かうと、
北墳丘墓があります。王またはその一族の墓が集まっています。
発掘跡がこんもりと土に覆われ、資料館のようになっています。
昔の埋葬の仕方の模型が展示されています。
大きめの甕(かめ)に遺体を入れ、もうひとつの甕でふたをするような感じ。
これが発掘跡。甕の破片をつなぎ合わせたものは本物、つまり2100年前のものです。
これがムラの北部一帯、いたるところに埋まっているようです。
続いて南内郭。
物見やぐらに登って北西方向を眺めたところ。
続いて西方を眺めたところ。
どんだけ広いんじゃい。
「倉と市」エリア。
当時の高床式倉庫は現代のログハウスに通じるデザインだね。
こちらの内部は住居よりがっちり作られている。
ネズミの侵入は防げないかもしれないが、猫なら防げるな。
続いて庶民が暮らす「南のムラ」。
住居の中に入ってみたけど、王家の住居とあんまり変わりません。
以上、あまりに広すぎて、そして日差しが熱くて、1時間半ほどで駆け足で巡りました。(1/3も見てないけどね)
古代の遺跡は面白い。去年の青森市・三内丸山遺跡とどうしても比較してしまう。
三内丸山はここより数千年前、縄文期の最大都市といわれていたもの。縄文と弥生の違いでいえば、ムラの外観について、弥生時代になると囲いや堀が目立ちます。つまり外敵の侵入を防ぐ構造を備えてきている。縄文時代は狩猟中心とされていますが、三内丸山で学習したのは、大型動物には当時でも数の限りがあり、たまにしか獲物にありつけず(魚はそこそこ採っていたが)、主な食料は「栗」を基礎としていたらしい。食料採取は自然任せ、そもそも栗の木はそこら中にあるので貧富の差がなかった。したがって数千年にわたって争いごとのない時代だったといわれています。弥生期は安定した食糧生産に移ったものの、集団で田に水を引く時期を決めたりするのに指導者階級が現れたこと。一層、「領土」への意識が高まった時代といえます。領土を巡る人類の葛藤は何千年たっても変わらないんですな。悲しいことに。
昼飯は公園内のレストランで、
なんとか鳥?の唐揚げ定食、1230円なり。
午後2時ともなるともう風呂です。
道の駅に近い、川上峡温泉ホテル龍登園さん。800円なり。
はっきり言って800円は高い、そんな風呂です。
本日のねぐらは道の駅「大和」さん。
事前にスーパーで夕食の弁当を・・・。このパターンばっかしやな。
コメント